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EF55形電気機関車
概要
【はじめに】・・・この機関車は、機関区職員の多大な努力と鉄道ファンの支持を受けて昭和61年7月に現役復帰を果たして現在も活躍していますが(注:2009年に引退)、分類上「上越線で活躍した旧型電機」に掲載しました。


 昭和10年代、鉄道車両で流行した「流線形」のブームが電気機関車にまで波及し、昭和11年、「流線形」のEF55形直流機関車が誕生し計3両が製造された。鉄道ファンならずとも一見するだけで見分けがつく独特のスタイルのEF55形機は、実はEF53形機の製造で余った資材を流用して造られたという話もあるが、事実は明らかではない。いずれにしても、他の機関車では見られない珍しいコトがたくさん詰まった珍機関車であった。

 足元には2C+1Cという特異な車軸配置を施され、流線サイドの連結器は90度下に回転して格納可能なタイプにして普段はカバーで覆い、徹底的に流線形のデザインにこだわった。しかし、運転上の煩わしさから後にこのカバーは撤去され、後年は連結器がむき出しの状態となった。また、片側のみ流線形という形にはなったものの、もう一方のサイドは垂直に切り落とされたデザインになっており、前後だけ見比べると全く違う機関車に見えてしまう。流線形でないサイドにも運転席は設けられたが、最低限の運転ができる程度の機器しか搭載されなかった為、運転するサイドによって最高速度が異なるという異色機であった。そして、この走る方向によって最高速度が違うという事がこの機関車の短命を決定的にしてしまった。

 速度が求められる旅客列車の牽引において、最高速度が早いサイド(流線サイド)での牽引が求められのは当然である。その結果、折り返し運転の際は転車台で機関車を回転させなければならないという大きな手間が生じてしまった。そのため、この使い勝手の悪さが原因で東海道本線の花形列車の牽引から退き、高崎第二機関区へ転入。その後、高崎線で活躍したが昭和39年に全廃に追い込まれてしまった。
 
 しかし、あまりにも個性的な容姿だったEF55形機はその1号機が長らく保存され、昭和53年になって準鉄道記念物に指定される。そして、その後も高崎第二機関区で大事に保存されていたが、民営化を翌年に控えた昭和61年6月24日、このページの冒頭で書いたような経緯で車籍が復活し、翌月に「GOGO TRAIN」という列車名で復活運転を果たした。(2009年引退済)
 
 なお、車籍復活した1号機は、第二次大戦中に米軍機の機銃掃射を受けて大きな損傷を負ったという経歴をもっている。大戦後、機関車の外部は綺麗に修復されたので外側からその痕跡を探し出す事は出来ないが、機関車の内部には機銃掃射の弾痕がはっきり残っているという。
機関車の諸元
車軸配置 運転整備
重量
(t)
最大長
(mm)
最大幅
(mm)
パンタグラフ
折畳高さ
(mm)
2C+C1 100.38 19,150 2,810 3,940
1時間
定格出力
(kW)
歯数比 主電動機
形式
最大
運転速度
(km/h)
製造両数
1,350 2.43 MT28A 95 3

ED16 EF10 EF11 EF12 EF13 EF15 EF16
EF50
EF51 EF53 EF55 EF56 EF57 EF58

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