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EF13形電気機関車
概要
 昭和19年10月25日に1号機が完成した貨物用直流機関車で、昭和22年までに計31両が製作された。この機関車は、俗に言う「戦時形設計」の機関車で、戦局の悪化で資材不足に陥りつつあった大戦末期から終戦後にかけて製造されたもので、その内容たるや実にお粗末な機関車であった。

 そもそも、戦時の貨物が急増する一方なのに鉄鋼資材が不足するという事態に陥っていた国鉄は、両方を一度に打破すべく「とにかく戦争中だけでももてばいい」という「戦時形設計」なる主旨でEF13形機を設計。使用する鋼材を極力省略するために機関車形状を「凸型」にし、パンタグラフは構造が簡単な「バネ上昇式」、さらに「高速度遮断器の節約、資材不足で手に入らない部品は「使えそうなもので代用する」というまさに省コスト省資材省寿命という、ある意味現代の最新鋭車的設計思想で世に送りだされた。しかし、これらの「省」を徹底しすぎたために自重が軽くなり過ぎて空転が続出したため、コンクリートブロックや古レールなどの死重を積んで粘着力を稼いだ、という過去をもっている。

 戦争末期から終戦期にかけて列車回数の増強が行われていた上越線では、昭和20年以降に水上機関区に4両が新製配置され、昭和22年1月~3月には高崎第二機関区にも国府津・沼津の各機関区から9両が転入。さらに、昭和22年4月の高崎~水上間電化に伴ない、同年8月~12月にかけて水上機関区のEF12-17両と高崎第二機関区のEF13-8両をいっきに入れ替え、水上機関区の主力機関車はEF12からEF13へと様変わりする。しかし、前述の「戦時形設計」に起因する欠陥・故障が続出したため、次々と休車が発生。EF13については両区の間で細かな転入出を繰り返すが、昭和32年になると転出が加速し、同33年4月に上越線からは姿を消してしまう。長岡第二機関区には、昭和30~33年頃にかけて数両配置されていた時期があった。

 「戦争中だけもてばいい」という悲しき宿命を背負わされたEF13だったが、電気機関車が不足気味だった国鉄は、当然のように終戦後もEF13を使い続けた。昭和23年頃からは省略した部分の改良に着手し、高速度遮断機の設置や、パンタグラフの改良等を実施。その後、「箱型EF58の流線形改良化工事で余剰が生じる箱型ボディをEF13に流用する」という朗報がもたらされ、昭和28年頃から改造工事を実施。こうして、「戦時形設計」の象徴であった凸型ボディに別れを告げた。そして、気が付けば昭和19年のEF13形誕生から昭和54年の全廃に至るまで、実に35年に渡って鉄路をあゆみ続け、「戦争中だけもてばよかった」EF13は、自らの運命を否定するかのように高度経済成長期の日本を影から支え続けた。

 この機関車ほど、戦争に翻弄された機関車は他にないのではなかろうか。
機関車の諸元
車軸配置
運転整備
重量
(t)
最大長
(mm)
最大幅
(mm)
パンタグラフ
折りたたみ高さ
(mm)
1C+C1 99.0
(凸:101.9※)
17,500 2,800 3,861
(凸:4,031)
1時間
定格出力
(kW)
歯数比 主電動機
形式
最大
運転速度
(km/h)
製造両数
1,600 4.15 MT39A
(凸:MT39Z)
75
(凸:65)
31
注…表中の(凸:○△□)は、凸当時の数値を示す。特記なき場合は、凸時と箱型車体時の数値は同じ。
※…凸時の運転整備重量101.9トンは、死重を含んだ値なのか、凸機本来の重量なのか不明。

ED16 EF10 EF11 EF12 EF13 EF15 EF16
EF50 EF51 EF53 EF55 EF56 EF57 EF58

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