| 平成16年新潟県中越地震・上越線の記録 |
平成16年(2004年)10月23日に発生した新潟県中越地震(気象庁命名)でのJR上越線の被害状況を、記録として書き留めておきます。以下、全て私(このホームページの管理人)自身が目視で確認したものだけです。実際はこれ以外にたくさんの被害がありました。詳細はWikipediaでご確認ください。
※赤い字に限っては、報道より得た情報です。
※動画を除き、リンクは全て別ウインドウが起動。 |
| 1、被災状況 |
【地震発生時に営業運転中だった列車】
*地震発生後数日経った時点の私自身の目視情報です。発生時の場所ではありません。
- (下り)特急「はくたか16号」1016M…塩沢駅
- (下り)普通1745M…北堀之内~越後堀之内間(この地図の中心あたり。以下同じ)
- (下り)普通1747M…土合→土樽間の新清水トンネル内(報道より)
- (上り)特急「はくたか15号」1015M…越後湯沢~石打間(地図)。駅間退避したもよう。
- (上り)普通1742M…岩原スキー場前駅
【土砂崩れ/路盤流出/トンネル損傷など】
- 北堀之内駅すぐ北方の北堀之内~和南津トンネル間(地図)の南側にあった山の斜面が大規模崩落。上越線は架線柱もろとも長さ100メートルくらいにわたって埋没。
- 和南津トンネル、牛ヶ島トンネル、天王トンネル、榎峠・新榎峠トンネルの各トンネル被災。詳細は不明。
- 和南津トンネル…工事関係者いわく、山そのものが動いたのだろう・・・とか。同じ山を貫くすぐそばの国道17号の和南津トンネルも被害甚大。
- 榎峠・新榎峠トンネルの小千谷側出入り口付近の斜面が大規模崩落。トンネルの出入り口に土砂・岩石が流入する。
- この地図の中心あたりの線路路盤が、並行する国道17号線の道路もろとも南西側の急斜面に向かって大規模崩落。
【その他】
越後湯沢から長岡方面に向かって、順を追って書き記す。
- 越後湯沢から下ってきて、八色~小出間(地図)で初めて線路変位確認。
- その後の区間(小出以北長岡方面)はいたる所で路盤流出、線路変位、架線柱倒壊。
- 小出駅人員退去で無人。(この状態を私自身が確認したのは小出駅のみ。)
- 越後堀之内駅の被害状況は不明。
- 北堀之内~越後堀之内間に放置されていた115系普通列車(下り)の周囲の線路はぐにゃぐにゃ。
地震発生当時は走行中であり、脱線を免れたのは奇跡的という印象を受けた。
- 北堀之内駅は構内のあちこちが損傷したが駅舎そのものは無事。
- 震源地に近い越後川口駅の被害状況は確認せず。周囲の市街地の光景に絶句。
- 小千谷駅の被害状況も不明。
- 越後滝谷駅駅舎「危険建物指定」の張り紙あり。
ここまで確認。宮内以北の信越線区間はわかりません。
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| 2、復旧にむけて |
【地震発生時に営業運転中だったが、乗客を避難させたうえで運転打ち切り/その後しばらく留置(放置)されていたと思われる列車】
- 岩原スキー場前駅に放置されていた115系(新潟支社車両)
…長岡側が不通でしばらくのあいだ帰区できず。検査等がある際は、高崎支社の新前橋電車区へ疎開。越後湯沢・六日町と開通区間が増えるにつれ、(下記編成との)2編成だけでは稼動編成が不足するため、高崎支社の湘南色115系が応援のため加わる。しかし、もともと高崎支社管内仕様の車両だったため、新潟側の駅の行き先幕はなかった。したがって、行き先幕は無表示(白地)のままだった。
- (下り)普通1747M…土合→土樽間の新清水トンネル内
…地震発生当日の深夜までに土樽駅まで走行し、そこで運転打ち切り。乗客はバス等で越後湯沢市内へ送客。編成は上記同様の理由により、長岡・新潟方面に帰区できず。(報道より)
- 越後湯沢~石打間の681系はくたか/塩沢駅の681系はくたか/北堀之内~越後堀之内間の115系
…時期不詳ながら、復旧区間が増えていくにつれてどこかに移動したもよう。
【土砂崩れ/路盤流出/トンネル損傷など】
- 北堀之内駅すぐ北方の斜面大崩落現場。
…現場に通じる道らしい道がなかったためか、しばらく放置されていた。しかし、現場一帯に広がる田畑の一部を埋め、重機を搬入できる道を確保。大量の土砂や崩壊した架線柱などの撤去をはじめる。
- 和南津トンネル、牛ヶ島トンネル、天王トンネル、榎峠・新榎峠トンネル
…いずれも復旧工事の詳細不明。和南津トンネルは、遠めに見てもトンネル内部の壁面とトンネル出入り口の壁面の著しいズレや、大きく変形した線路や路盤が確認できた。これら線路やトンネルの損傷具合を素人目に見て、「元通り復旧できるのか?」と思ったほどの惨状だった。
- 並行する国道17号線の道路もろとも南側の急斜面に向かって大規模崩落した現場(地図)
…線路が宙ブラリンの状態。国道17号はすぐそばに急ごしらえの迂回路を設置。道路寸断は回避された。一方上越線は土砂を埋め戻して路盤を元の姿にもどす作業が始まったが、とてつもない労力を強いられる。
「北堀之内駅すぐ北方の斜面大崩落現場」、「和南津トンネルの損傷」、「榎峠トンネル小千谷側出入り口付近の斜面大崩落現場」、「並行する国道17号線の道路もろとも南側の急斜面に向かって大規模崩落した現場」が特に被害が大きいと感じた。ただし、これらは近くを通る幹線道路から遠めに目視できた現場であって、通常の人間では立ち入れない現場にもっと多くの被災現場があったと思われる。
【その他】
- 越後滝谷駅の駅舎は取り壊し。前駅舎とよく似たような造り・構造の新しい駅舎が建つ。
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| 3、復旧開通までの道のり |
上越新幹線が越後湯沢までの運転だった頃、上越線よりもずっと早く復旧した関越自動車道を使い、越後湯沢駅と長岡駅の間で代行バス輸送が始まった。越後湯沢駅前のモータープールは代行バスで一杯になる(このバスは、途中の大和パーキングに停車したように記憶する。浦佐駅の利用者のため?)。しばらくの間不通だった新潟側の上越線は、11月2日に水上
~ 六日町間で運転を再開する(六日町以北長岡方面は依然として不通)。六日町で接続する北越急行ほくほく線も同時に開通し、首都圏と北陸圏を結ぶ重要なルートの一翼を担っていた特急「はくたか」の運行も再開された(徐行遅延ありの暫定ダイヤ)。上越線全通復旧にむけた第一歩である。夜行列車/貨物列車の運休状況はWikipediaをご参照頂きたい。そこには載っていないが、確か年末年始を中心に急行「能登」の臨時列車(91・92号だったような・・・)がほくほく線経由で運行された記憶がある(記憶違いだったら申し訳ありません。)
さらに、
- 11月13日、六日町~小出間の運転を再開し、不通区間は小出~長岡間に短縮。代行バスの時刻表(1ページ、pdf、402KB)
- 年内の全線復旧は無理だろうという当初の見込みに反し、年の瀬がせまった12月27日に全線開通
…ただし完全復旧には程遠く、越後川口~越後滝谷間は単線(上り線のみ利用)、および速度25km/h以下限定。10月23日の地震発生から実に65日ぶりの全線開通である。これだけの短期間で壊滅的な被害を受けた被災現場を暫定開通までの復旧に導いた工事関係者に敬意を表したい。
- さきほどの単線区間(越後川口~越後滝谷間)ではタブレットを交換する光景がしばらく続くこととなる(この次の項目に動画アリ)。その影響で、普段は無人駅でひっそりしている越後滝谷駅が、このときばかりは臨時詰め所を設けて常時駅員配置になっていた。
その後、段階的に速度規制を緩めてゆくが、当分の間、越後川口~越後滝谷間は単線運行が続くこととなる。そして、明けて2005年春、その冬は豪雪だったにも関わらず、3月25日に全線複線での開通にこぎつけた。速度規制継続という条件がついていたものの、地震発生から153日ぶりのことである。同時に首都圏からの夜行列車、貨物列車が運行を再開した(貨物列車については、単線開通時に一部運行開始済み)。
その他の線区の被災・復旧状況は追跡してないのでわかりません。
その他の代行バスなどの時刻表(8ページ、pdf、3.2MB)
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| 4、単線運行当時の映像 |
主に、2004.12.27~2005.3.24に実施された越後川口~越後滝谷の単線運行のときに撮影したもの。当時は越後川口駅と越後滝谷駅でタブレットの交換をしていた。越後滝谷駅付近で撮影したものが多い。
↑越後滝谷駅での上下普通列車のタブレット交換、越後川口~越後滝谷の単線徐行区間を逆線走行する普通列車のようす。 |
↑小千谷駅を逆線走行通過中の下り急行能登(音声やや不良)、越後滝谷駅での上り能登、および越後滝谷駅付近での除雪列車、貨物列車のようす。 |
↑越後滝谷駅での、上り除雪列車と下り貨物列車の交換のようす。(下り貨物列車の出発信号の左側に並んでる信号機は並行する道路のもの) |
↑六日町~長岡が運休していた頃、石打駅構内の留置線に進入する湘南色115系のようす。六日町以南(群馬側)に孤立・取り残された新潟支社の115系2編成だけでは営業運転に不足である為、群馬側(高崎支社)から応援の湘南色115系が来ていた。 |
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| 5、個人的な総括 |
月日は経ち―
かつて、新潟市内の知人と会う際には、片道だけでも必ず上越線を利用して、自宅のある群馬県と新潟市を往復していた。
越後滝谷駅の新しい駅舎。和南津トンネル付近の斜面崩落現場一帯の田畑に、周囲の光景とは不自然なほど真新しい重機搬入用の広い砂利道。所々で見かける銀色の新しい架線柱。そして、希望に満ちた幼い命を一瞬にして奪った榎峠トンネル付近の大崩落現場。車窓からこれらを目にするたび、あの時に受けた強い衝撃が胸の奥からよみがえってくる。
震災当時、小千谷市で生活していた知人と連絡が取れたときの安堵感は、今でもうまく言葉にできない。刻一刻と明らかになっていく惨状を映し出すニュースを見つめながら、やっと無事が確認できた知人に向かって、携帯電話越しに何度もうなづくことしかできなかった。知人曰く、「あの時に経験した絶望感や孤独感は、今を生き抜く理由のひとつになっている」という。
翌年の夏、毎年恒例のおぢや祭りでは、この地震で犠牲になった命と同じ数の大輪が夜空に花開いた。
それまで賑やかだった花火会場が、このときばかりはシンと静まり返った光景が今でも心に残っている。
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| 6、平成16年新潟県中越地震における鉄道被害の様子を綴ったページ |
*「ときエクスプレス」…トップページで「中越地震」をウェブ内検索をすれば容易に該当ページを発見できる。上越新幹線の被災状況を中心に細部まで掲載した情報量の多さは他の追随を許さない。被災脱線した「とき325号」に乗務していた乗務員と車販員の手記など必見モノばかり。
*「越後線でいこうよ」…新潟県・柏崎地区の被災状況がレポートしてある。
*Diesel Trains…TOPメニューにある「気まぐれ調査団」のページの一番下に「中越地震被災 上越線越後滝谷駅付近の様子」を公開中。
*鉄ライダーの鉄道写真館…TOPページの下のほうに中越地震に関する写真館あり。
*「KAJIMAダイジェスト ザ・サイト 新潟県中越地震時間との闘いを制す」…実際に復旧工事にあたった当事者が公開するページ。天王・榎峠・新榎峠トンネルの復旧工事の様子が克明に記録されている。
*長岡技術科学大学「新潟県中越地震被害報告書」…多数の詳細な記録あり。その中の「鉄道施設の被害」に上越線の被害状況に触れている。被災状況の画像など興味深いものが多い。
*「基礎地盤コンサルタンツ」…TOP→技術情報Toppage に進むと様々な地震の情報が得られる。その中にある「中越地震の報告書」の「鉄道」の項目に上越線の被災状況が画像入りで公開されている。
*「TOBI-TECH(飛島建設技術研究所)」…トップページで「中越地震 被害調査」で検索する。上越線の被災状況が数枚画像入りで公開されている。 |
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